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確かに、佐藤さんはたくさんお金を使ってくれる。
お店には頻繁に来店するし、ワインやシャンパンも2回に1回はあけてくれる。
だから、女のコたちからは、「美味しい客」と言われている。
でも、美里にはちっとも「美味しい客」だなんて、思えない。
佐藤さんはつい最近まで、れなちゃんを指名していた。
れなちゃんの順位は6位だったが、そのほとんどが佐藤さんの売上だけだった。
ところが、佐藤さんは3ヵ月おきに、きまって指名を替える。
佐藤さんに指名されるいろいろな女のコが、佐藤さんとの深い関係を噂され、そして、指名替えで売上がほぼゼロになると、女のコはいつの間にか、お店からいなくなっているのだ。
美里はそんなパターンを、少なくとも3人は見た。
それに、れなちゃんとの関係がぎくしゃくするのも、嫌だった。
さまざまな思いが頭を巡り、そのとてつもなく大きな黒い何かに、美里はぞっとした。
それにしても…。
佐藤さんはなぜ、れなちゃんじゃなくて、
私を指名するようになったんだろ…?
美里は以前、佐藤さんに誘われ、アフターに付き合った時のことを思い出した。
「ねぇ、ねぇ、美里ちゃぁん。旅行行こうよぉ、旅行!」
「りょ、旅行ですか…?」
「え? 嫌なの?」
「嫌なわけじゃないんですけど……」
「じゃ、いつにする? いつにする? 6月の半ばは?」
「6月はちょっと…」
「じゃ、7月は?」
「7月は…」
「7月なら大丈夫でしょ? じゃ、7月で決定ね! 予約しておくから」
冗談…だよね?
美里は冗談だと思っていた。
次に佐藤さんが来店したのは、翌週の火曜日だった。
「佐藤さん、この間のアフターのお寿司、美味しかったです♪
ついついお酒もすすんじゃったから、二日酔い酷かったですよ~」
「そっかぁ。俺も次の日の朝はつらかったな。
あ、そうそう。箱根、予約しておいたからね」
急に小声で耳打ちしてきた言葉に、美里はドキンとした。
ま、ま、マジで……?
冗談…じゃ…なかったんだ!!
そんな心が表情に出てしまったのか、佐藤さんは眉間にしわをよせながら、声を低くして言った。
「え? 約束したのに、まさか、ドタキャンなんて失礼なこと、
しないよね?」
「ドタキャンなんて、しませんよぉ~!
スケジュール、確認しておきますね」
美里はとっさに答えてしまった。
その日佐藤さんは上機嫌で、ドンぺリやらニューボトルやらを入れて帰っていった。
どうしよう…
どうしよう…
不安な思いばかりが頭を巡り、その後の会話の内容なんて、さっぱり覚えていなかった。
営業終了後。
美里は、忙しそうに片付けをしている菊地店長の後ろをちょこちょこと着いて回り、今日の佐藤さんの旅行話のいきさつを話した。
「ねぇ、ねぇ、店長!
佐藤さんに口説かれて、私とっても困っているのだけど、
どうしたらいい?」
菊地店長の手がピタリと止まった。
「口説かれてる? あはははは」
「はぁ? 何がおかしいのよ。
私、これでも真剣に悩んでいるんだから!
旅行の予約までされちゃったのよ!」
「あぁ、そうか。ごめんごめん。
佐藤さん、太っ腹だけど、いろいろ大変らしいよね。
でも、美里ちゃん、それ、口説かれてるって言わなくない?」
「え? どういう意味?」
「ま、考えてみなよ。じゃ、お先ぃ~」
ちょ、ちょ、ちょっと店長!!
ひどくない…?
私がこんなに悩んでるのに……。
美里はそのとき、以前、あやのさんから教わったことを思い出していた。
そういえばあやのさんは、
「本当に好かれていれば、お客様は女のコが嫌がることはしない」って言ってたっけ…。
だとしたら、私は好かれていないってこと?
じゃあ、なんで私が指名されたの?
もう!
一体、何なのよ!
それから一週間の間に、佐藤さんは4回も来店した。
必ず同伴で入店し、美里の都合が悪い時には店前同伴ということもあった。
美里のグラフは、以前のように苦労をしなくても、気持ちがいいほどぐんぐんと上昇し、やがて、売上ランク2位という位置まできた。
やった!
私も、やっと才能の花が開いたのね!
美里は、その時はまだ気がついていなかった。
今まで頑張っていた他のお客様への連絡や、せっかく来店してくださった方への感謝と気遣いを、すっかり忘れていることを…。
いつの間にか、美里は自分が見えなくなっていた。
人は好調な時に、反省をしないものである。
上昇気流が永遠に続くような錯覚に陥る。
佐藤さんは私にゾッコンみたいだから、ほかのコとは違うみたい。
旅行だってきっと、てきとーに流せるかんじだよね…。
なんだ、思ったよりラクショーじゃん!
恋愛も、お客様も、「私だけは特別」なんてことは、ない。
そんな基本的なことを、わからなくなってしまうほど、ナンバー2の地位は美里を舞いあがらせた。
「美里ちゃん、売上、すごいね!
あとちょっとで1位じゃん!
さすがだね!」
店の女のコたちからの、賞賛の声…。
ただ一人、菊地店長だけは、美里のこの危険な兆候に、気が付いていた。
(つづく)